R0012627.JPG 「かぐやひめ」が終わって: カカシの足元一本足

2012年10月23日

「かぐやひめ」が終わって

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あー、もうブログの存在を完全に消してしまっていたぜ。

タイトルの通り、ギャラリーかぐやでのパフォーマンスインスタレーション(?)「かぐやひめ」が先日の日曜日で千秋楽を迎えました。
両日合わせて限定60名という制限の中、結果的に70名近くの方にお越しいただきました。
ご来場下さった皆さま、本当にありがとうございました。


このイベント。
作品展示でもなく、パフォーマンスでもなく、演劇でもなく、はたまたインスタレーションでもない、なんとも形容し難い内容でした。
パフォーマンスインスタレーションと書きましたが、その言い方もかなり怪しいところです。
実際、ご来場下さった皆さんからも、一体何を見たのかよく分からなかったかというお言葉を頂きましたが、それなのに皆さん口を揃えて「来てよかった!」という感想も残されています。
本当に嬉しいことです。

古民家ギャラリーかぐや は、その立地ロケーション故に「かぐや姫」という日本最古の物語へのオマージュから屋号を決めたとオーナーの井上さんはいいます。
そのギャラリーかぐやでこれまで作品展示等で相互関係の生まれた若手作家達、井上奈々星(寿獅子舞方)、井坂奈津子(造形作家)、井川丹(作曲家)、加藤渉(竹灯り作家)、岡田洋平(銅立体作家)の5名によって企画考案されたものが今回の「かぐやひめ」です。

ギャラリーかぐやという交流の場を介して出会った5人が、ギャラリーかぐやへの感謝と尊敬の下に集まり、それぞれのできること、そしてそれ以上の挑戦を含めて、屋号に冠している「かぐや姫」を僕たちなりに解釈し、一つの表現形態へと構築しました。

築200余年という古民家でのロケーション、夕暮れから日暮れに行われる降魔の時間、重ねられた緊張感とその中で繰り出されていく怪しくも美しい仮面の舞。
幽玄のような、薄く瞼を閉じているような情景の中ではっきりと見てとれる一連の物語の軌跡。

上演時間のおよそ1時間は、実際体感した時間経過を錯覚してしまうほどのものだったという感想も聞こえてきました。
見たお客さん達はみんなこれが何だったのかを消化することに苦労なされていることと思います。
それでも来たことに後悔されている声が聞こえてこないのは、僕らの思惑と挑戦が実を結び成功したものと強く実感を抱いています。
かぐや常連の方からは、これまでのかぐやで行われた数々のイベント中、ナンバーワンのものだったとなんとも嬉しいお言葉もいただきました。(普段すげえ辛口なのにね)
もちろん、稚拙な部分も多々ありましたし、実際いろいろなご指摘やご指導もたくさん頂戴しましたが、それでもこのようなコメントを残されたことは感激が身に余ります。

僕にとって、この「かぐやひめ」の企画は今秋で最も力を入れた企画でした。
4年前、ギャラリーかぐやで井上奈々星、井川丹、加藤渉と僕とで「こもりうた」という実験的な舞台表現を行ったことがありました。
その時は公演時間約15分という短いものでしたが、その時から僕たちの試みは端を発し、今回の「かぐやひめ」への前哨形体を成してきました。
それでも、次の企画への道のりは遠く、明確な構想もないまま次の企画への誘いをのらりくらりかわして悠に4年という時間を過ごしてきました。
しかし、そこに井坂奈津子という昨年かぐやで知り合った粘土造形の作家を迎え入れることで、表現形態にバリエーションの層をつくることができ、今回の企画を実行することとなりました。
当初はかぐやひめの原作になぞらって現代版に変えたお芝居みたいなものにする予定でした。
でも、僕が台本を書いている途中で「なんかこれつまんねえな」という気になり、獅子舞方として、作曲家として、造形作家としての本分に基づいた役割を個々に表現したものを一つに合わせていくという形態を目指すようになっていきます。
そして「かぐやひめ」という物語について、それぞれがどう思っているか、かぐや姫とはどんな人物像であったのかを何度も顔を突き合わせて深夜まで議論するところから始めます。
話し合いの中で男性と女性ではかぐや姫の印象は全く違うということに気付き、そのすり合わせをしていく中で僕たちのかぐや姫像を作り上げていきました。
そしてプリマドンナとしての絶対的単一存在であるにも関わらず、今や不特定多数の存在でもあるかぐや姫に特に焦点を当てた内容に絞ります。
そして、井坂奈津子、加藤渉、岡田洋平の造形作家3名によって制作された3枚の仮面にかぐや姫の心理的表情、物語の進行性を含ませる役割を持たせ、運命からの拘束、自由への渇望、目覚めへの喜び、不可避である運命の非情を各場面に込めて、「かぐやひめ」役の井上奈々星が舞い演じていくという形態を見つけ出しました。
各場面を効果的に彩る為に、井川丹は作曲を重ね、生音と造音との絶妙な組み合わせを作り上げ、時にはそれに合わせるように、また時には自らがそれを引き出すように、井上奈々星による自分自身とかぐや姫を重ね合わせるような、憧れるような、妖しくも儚く美しい演技で、「かぐやひめ」の形態は完成されました。

実際のところ、準備は難航し、その完成形態を見たのは公演当日の朝でした。
初日のギリギリまでそれぞれ制作を進め、調整をし、なんとか出来上がった・・・、というのが本当のところです。
特に舞手である井上奈々星、作曲の井川丹は普通ではない焦燥感と重圧感をその時に感じていたことと思います。これについては本当に申し訳なかったと今でも思っていますが、それでも初日に想像以上の出来栄えを披露してくれた二人には驚嘆と感謝の思いでいっぱいです。

本番中はハプニングもありましたが、それでもお客さんに違和感を持たせることなく(そもそもどうだかわかりませんが)終えることができたのは、出演者各人の機転と、裏方で暗躍していた井川丹、加藤渉の活躍のおかげだったと思っています。

このように書きだしていると僕が総監督っぽく見えるかもしれませんが、実際はそんなことはありません。
確かに最初に声を挙げたのは僕かもしれませんが、この「かぐやひめ」はメンバー全員での度重なる話し合いと試行錯誤の末に完成された作品です。
全員による試行錯誤によって、誰も異端にならないまでの共通認識を育んだ結果がこの「かぐやひめ」です。
個々がそれぞれの役割と責任を認識し、「かぐやひめ」というシンパシーの下で完遂された作品。
これは紛れもなく誰か一人でもいなかったら出来上がらなかったもので、それぞれの総力以上のものを結集させた僕たちの集大成なのだと思っています。

ですから、僕が声をかけて集まってくれた「かぐやひめ」のメンバーには並々ならぬ感謝の気持ちで溢れています。いやマジで。

丹くんは「こもりうた」の時からの付き合いだけど、今回も仕事が激務だったのにも関わらず献身的にミーティングにも参加してくれたし、何より丹くん作曲がなければ成立し得なかった。
僕の発案に対して時には盛り上がり、時には冷酷なまでに否定するその姿勢がなければ変な方向に傾いていたかも知れなかったと思う。
「こもりうた」の時から作曲をお願いしているけれど、今回も丹くんでなければいけなかった理由はそこにある。そして制作された曲は間違いなく今回の「かぐやひめ」の為の、それでなければいけなかった曲だったと強く感じています。
毎回ミーティングの度に家へ送るまでの短い道のりの間で話した内容は、そのまま今回の企画への筋道を作っていたのだとも思うし、僕にとっても明確な指針を示してくれていたかけがえのない時間がそこにあったと思っています。
多忙な中で無理をさせてしまったのは心痛い半面、丹くんで良かったと本当に感じます。

ワタくんは実働的な部分で本当に頼りになった。
ワタくんも激務の最中で本当に大変だったのにも関わらず、一つのお面を作ることを依頼したことはすごく無理を強いてしまっているんだと思っていたけれど、君が抜けるのは考えられないことだった。
精神的に追い詰めるようなことを言ってしまったという自覚もあるし、それについてずるい言い方をしたという申し訳なさもある。でも、この5人でなければ成立しえない作品だったということに確信を持っていた時期だったこともあって、僕は無理を言ってでもそのうちの一人としていてくれなければならないと思っていた。
実際それは他のメンバーもそうだったと思う。
でも、自分自身で全てに決着をつけて、本当に献身的に務めてくれたことには本当に感謝しています。
事実上、空間の作り上げをやったのはワタくんだったというのは全員が感じていることで、皆が本当に君を頼りにしていました。仕込み最終日に一人で奮闘したこと、誰も忘れないと思う。
いいかげんな僕と一番会話をしたのは君だったし、一番頼ってしまったのも君だった。かなり迷惑をかけてしまったよね。ごめんね。
でも出来上がったお面は君にとって新境地になるべくものであったと思うし、一場を表すものとしてとても効果的な要素を持っていたと思います。そして僕はアレを気にいっています。

なっつ。
君を誘ったことで、これほどまで新しい道を切り開けるとは。
当初は舞台美術のみでの参加で誘ったけれど、やっぱり完全な主力として迎え入れたことは大正解だった。
僕は今でも君が何考えてるか分かんないところがあるけど、君の可愛さと抽象的かつ強力な発想が今回の「かぐやひめ」の骨組みを作っていたのだと思います。
君が作ったお面は圧巻と驚嘆の仕上がりで、誰よりも早く制作して披露してくれたことに僕は焦りを隠しきれなかった。「こいつはやばい、これに全部持ってかれてしまう!」
実際、君のお面は劇中に最もななちゃんの動きを活かせる作りになっていたし、ななちゃんもあのお面での動きが一番こだわって楽しくやっていたように思う。
舞手のななちゃんと同性であるということが、僕ら男共には分からないシンパシーを持ってあの場面を作り上げたのだろうね。劇中最も不思議で面白い場面があの場面だったと思います。
君自身が被ってたお面も含めてね(笑)
ある意味で一番の「かぐやひめ」はなっつだったんじゃねえかと今でも思っています。

そして最後にななちゃん。
前回の「こもりうた」の発案は君の獅子舞いを見てから思いついたものだった。
そして、今回「かぐやひめ」としてまた舞手としてお願いしたけど、今回最も迷惑と心配をさせてしまったのはななちゃんにで、本当に申し訳なかったと思っています。
全てが滞り、お面も曲も出来上がるのが直前で、一番自分の表現方法を考える時間がなかったのが、かぐやひめ役という一番大事な役割を持っていたななちゃんになってしまって・・・。
正直言うと、前回の「こもりうた」の時の様を見てから、「この子はなんだかんだ言って本番にはやってくれる」という責任放棄にも似た期待をかけてしまっていました。
でも、本番の日の朝、一人でかぐやに泊まって必死に太鼓の演奏を考えている様子を見て、あー、肝心なところが僕はダメだなと思いました。
結果的に最後にお客さんの前に立つのはななちゃんで、この作品の出来は全てななちゃんにかかっているということを、ななちゃんのポテンシャルの高さにのみ望みをかけ期待をしてしまっていたからです。
身体表現を主とする作者と、有形物を制作する作者の間での誤解を僕はもっていました。ほんとに直前まで。
今回なんか特にかぐやひめという単一の役柄を演じるだけでなく、3人の作家が作ったお面を託されて演じるということの要望への重み、そしてななちゃん自身によって作曲された太鼓の演奏という他のメンバーよりも格段に責任の重い役なのにも関わらずその全てをななちゃんに投げすぎてしまった。
「この子なら大丈夫だろ」という根拠のない期待感をもって役割を与えてしまったことは今終わってからも失礼なことしたなと思っています。
でも、それでもやっぱり本番でのななちゃんはそれまで皆が発案してきたかぐやひめを正に体現している出で立ちで、演技も舞いも演奏も全てが僕らにとっての理想形として出現していました。
いろいろな演出法や小道具があったとしても、他の誰かでは、例えそれがプロの役者や舞踏家でも、それはななちゃんでしか体現できなかったかぐやひめであって、僕たちのかぐやひめはななちゃんしかいないという確信を改めて実感できた瞬間でもありました。
だから、結局なんだかんだ言ってやればできる子なんだけど、本人のプレッシャーは僕も省みる必要があったんだということは終わってから話をした後でより考えるようになりました。
お客さんの反応から見ても「舞い手の女の人がすごくきれいだった」という感想はななちゃんの成せる業であって、ななちゃん自身が発揮した力です。
二日目のいろいろあったことはあの土下座でチャラにしてくれ。
いろいろ迷惑をかけてしまったけれど、やはり君無しでは僕たちの「かぐやひめ」にはならなかったと思います。
他の皆にももちろん感謝しているのだけれど、今回一番感謝をしているのはななちゃんにで、他の皆も絶対そうだと思います。
本当にありがとう。
俺は君にだったら無理難題を吹っ掛けられて挙句死んじゃってもいいかもしれないとも思っているわ。


最後に、今回の企画に乗ってくれたみんな、本当にありがとう。
全員で作り上げたこの「かぐやひめ」の成功を、全員で感じることができて本当に良かったと思っています。
つい一昨日のことなのに、今はもう遠い昔のことのような印象ですが、終わってしまったことへの安堵感も寂しさも入り混じって、ある種の儚さに似たような感覚を今も感じています。
この「かぐやひめ」を作り上げた5人に出会えたことは僕にとっても、幸せなことです。
改めて、本当にみんなありがとう!
posted by カカシ at 06:49| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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