http://www.yanobe.com/aw/aw_vrp_standa.htmlヤノベケンジ氏 作
「スタンダ」
ガイガーカウンター搭載で、放射能を感知して立ち上がるという作品。
この状況下で、すぐ頭によぎった作品。
僕はヤノベさんの作品は全てにおいて大好きだ。
日本は大変なことになってしまいました。
大地震に端を発し、大津波、多発原発事故と、シャレにならないレベルです。
つーかシャレにならん。
被災現地の方々の辛さは、関東にいる僕には推し量ることもできないのですが、日々伝わる報道等を見る限り以上の現状があるのでしょう。
関東でさえ、震災当時はあれほど混乱し、未だに再び来るかもしれないという地震と原発事故への不安に苛まされているのが現状で、加えて計画停電による生活サイクルが不規則になっていることもさらなる混乱を生んでいます。
全てを見ているわけじゃないけれど、ネットやSNS、ツイッター上では、日々新たな情報が飛び交い、どこに重要性があるのか本当に分からなくなってきました。
被災地との情報交換や、支援についての理想的姿勢を追及する人は多いですが、今回の震災復興はかなり長い時間を要することかと思います。
復興支援についての姿勢は長い目で見て崩さず、一過性のもので終わらないように心がけたいと思っています。
さて、こういった生命にかかわる世間の非常時に「アート」というものは、はっきり言ってやっぱり役に立たないものだと痛感します。
僕は作家という立場からしても、普段舞台という芸術分野に携わる仕事からしても、本当に震災の為に速急に役立つことはありません。
舞台は倫理面での公演自粛や、相続く地震の危険性から、公演中止になるカンパニーが相次いでいます。
おかげで、今月予定されていた関東の演目は全て中止です。
今、僕は会社行ってません。
どこも「少し落ち着いてから」のきっかけ待ち状態です。
でも、それっていつくらいが目安なんでしょうか。
それは多分、首都圏内の混乱が落ち着いてからということなんでしょう。
震災現地が落ち着くには相当時間がかかりますから。
こうやって物を言うと、そういった状況に批判的な気もしますが、半分そうで半分納得しているところもあるんです。
予知不可能な地震の危険に、公演をやって人を集めてしまったばかりに、劇場に閉じ込められてしまうかもしれないということを鑑みるのは公演責任者にとって当然のことだと思います。
この前、仲代達也さんからそういった旨のFAXが会社に届きましたが、舞台人としてのジレンマを感じつつ現状を省みるとそうせざるを得ないという内容でした。
生意気ですが、僕はそういった判断はすごく立派だと思います。
考え方はいろいろあれど、役者さんは舞台に立つことが仕事で使命感を持っているわけですから、本当は世界がたとえ終わると分かっていても最後まで役者でいたい人達ばかりだし。
むしろ、それで世界が救えるかもしれないと思っているかもしれません。
こういった気持ちは、表現形態は違えど、僕らのようなアーティストも持っています。
ご飯をあげたり、室温を上げたりはできないけれど、違う形で、「心」とか言うと陳腐に聞こえるかもしれませんが、そういうもの、人間的な何かに対して何かできるはずだと思っているんです。
しかし、それは結局のところエゴから生まれるもので、たとえそのエゴを形式美や時代考証に乗せたとしても、本当に人が望んでいるかどうか分からない時にやったって受け入れてもらえないのは当然です。(でも、多分それはそういったものを見に来ない人が批判をするんだと思う)
じゃあ今、アーティストとして何ができるのか。
正直まだ自信ないけど、たぶん作品作ってどこかに展示して販売すればいいんだと思います。
すでに震災チャリティーの為の企画展を組んでいるギャラリーは幾つかあります。
この前apARTmentやったACTも企画しています。
さっき言ったことと矛盾するかもしれませんが、買占めとか電車が動かないとかのこの混乱の中、アートに触れることで少しでも前のような日常を取り戻してもらえればいいなと思います。
表現(アート)というものは感動を与えるものといいますが、その感動には発見と閃きと教訓等を含んでいるのです。
今回の震災は日本中の人々にとって忘れ難い爪痕を残しました。
それを後世も忘れないようにするのも、アーティストの一つの使命であると僕は思います。
有事があったことを忘れないというのももちろんですが、今のようにみんなが震災について何ができるのかに戸惑っている状況を引っ張っていけるくらいの要素を持ってると思うんです。
村上隆さんがツイッター上で被災地の人たちを元気づける為にGEISAI参加予定だった(13日に開催予定だったGEISAIは震災で中止になった)アーティストを対象に作品イメージをまとめて発信するということをやっていましたが、震災に乗じた売名行為とかいって叩かれていました。
でも、僕はそういったビッグネームの人だからこそできることがあると思います。
作家っていうのは、表現手法には自由を冠しているわけですが、実際はそれしかない不自由な面もあります。
この気持ちは、作品を作っている人にしか解り難いもので、村上さんはそういった若手の作家に対して気持ちを汲んで、作家一人だけで何かをするよりも、一丸となって応援をした方がより意味があると思ったからなんだそうです。
それができる人がやらないのは卑怯だとブライトさんも言ってたじゃないですか。
被災地にも、アーティストやアーティスト志望の若者が絶対いるはずです。
僕は、こういった行為が、現地の作家の人たちへのメッセージとしては大きな意味を持つものだと思います。
人が困っているところを助けてあげるのは当然のことですが、最終的には自分たちの力で立ち上がらなければいけない時が来ます。
特に作家はその作品とともに立ち上がらなければ意味はありません。
被災地が元通りになるまでは、時間がかかると思いますが、被災地にいる作家の人たちが再び作品を作れるようになった時、こちらから発信を続けていたことがきっとモチベーションの向上につながると思います。
大勢の人には意味のないことかもしれないけど、アートという行為については、作家にとって共通のものです。
その行為に賛同しようが、反発しようが、根底にはその人自身のアートってものがあるからです。
現時点で被災地以外の普通の人ができることは募金と節電ともう少し落ち着くことです。
作家であってもそれは同じですが、作家でなければ分からないこと、作家でしかできないこともあるのも確かにあると思います。
被災地の方々の被害がこれ以上出ないよう、心から祈ります。
僕らは立ち上がるまでの手助けをじっくりと行っていきたいと思います。
そして作家を志す僕は、また作品を作ってできれば多くの皆さまのお目にかかりたいと思います。

おれの掃除機は吸引力の無いなんの意味もないものだ。
願わくば、瓦礫の山を早く無くして欲しい。
そして再び人の街を復活させてほしい。